柳家喬太郎 落語生活30周年記念落語会に行ってきた

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スズナリ

柳家喬太郎が落語生活30周年記念として、2019年11月1日から11月30日まで、下北沢「ザ・スズナリ」で日替わりゲストを迎えて連日公演されました。

全公演に行きたいのですが、それは無理なので26日の公演に行ってきました。

Youtubeでは聴くことができない、公演ならではの話しを聴くことができ、とてもよかったです。

今回のゲストは、柳家花緑さんでした。小さん師匠の弟子である花緑さんと兄弟弟子のさん喬さんの弟子の喬太郎さん。前座・二つ目の頃からの間柄。

今回、喬太郎さんの演目は、小さん師匠の十八番という事もあり、花緑さんは非常によろこんでいたようです。

目次

柳家小太郎 唖の釣り

開口一番は、喬太郎さんの弟弟子にあたる小太郎さん。

小太郎さんが高座にあがると、あえてアウェー感であるがごとく、若干自虐的なマクラでしたが。このあとに出てくる喬太郎兄さんをしっかりフォローしながら、落語へ入っていく。

噺の内容は、殺生が禁じられている上野の不忍の池で釣りをするというもの。

不忍の池で釣りをしているのがバレると罪になるという事ですが、もし見つかりでもしたら、「母が病気で元気を付けるために鯉を釣って食べさせる」と口実をついて切り抜けようと、釣り好きの七兵衛が、与太郎を誘う。

入れ食い状態の与太郎は、はしゃぎすぎて役人に見つかってしまう。それどころか言い訳は間違えてしまう。でも、母の為と言う口実はなんとか通じたようで、無罪放免。

本当なら、捕まったあとは相図を送るはずが、与太郎さんはそのままご帰宅。

そんなことを知らずに、七兵衛さんは釣りを続けていたら、こちらもお役人に見つかってします。

いきなり見つかったことで驚いて顎が外れてしまい、ジャスチャーで状況を説明。これもなんとか切り抜けて無罪放免。でも、最後に外れた顎が元に戻って。

と、この噺は「おし」と言って差別的なニュアンスもあり、現代的にアレンジしている。特に喋れなくなった状態で相手に伝える手段としてジャスチャーを使っています。

古典落語には、盲目の方や耳が聞こえない方などが主人公になる噺がいくつかあります。そのため現代ではめったに演じないのですが、内容をアレンジしたりしながら継承しています。

柳家花緑 「明け烏」

喬太郎さんよりも若いのですが、花緑兄さんと言われています。

花緑さんの師匠は小さん師匠で、小さん師匠から見て喬太郎さんは孫弟子にあたります。

そんな中の二人ですが、本日の喬太郎さんの演目は小さん師匠が十八番にしていたと言われる噺を2つ選んだことに感慨深く感じていたようです。

なにか、とても嬉しそうに、演目について語っておりました。
また若かりしことの二人の出来事についても嬉しそうにしていたのを感じました。

いつ聞いても花緑さんの落語はわかりやすさとアレンジして作り上げている点だと思います。

初めて落語を聞く方にもわかりやすく聞いてもらうために、マクラで演目の説明をちょっと加えるんです。そして本題に入っていく。

今回の噺「明け烏」にしても吉原というところがどういうところか、どんな人物が登場するのかなど、ほんの少し解説してくれます。

今回の演目「明け烏」のあらすじは、大店の若旦那が堅物すぎて主人が町内の遊び人二人に頼んで、吉原へ連れて行き遊びを覚えさせるもの。

とは言え、そもそも遊郭などに興味がない若旦那を連れ出す口実として、お稲荷さんへ泊まり込みで参詣に行こうと誘いだす。

ところが、辿りつた場所が場所なだけに帰りかがるし、駄々をこねて泣き出す始末。

遊び人の二人は、吉原に入るときにあった大門では行きに三人で通ったのだから、一人で帰ると怪しい人物だと思われて捕まってしまうと脅し、なんとかなだめる。

それでもグズグズしていると、花魁にほだされて一晩過ごすやいなや、朝になり部屋へ迎えに行くと、帰りたいが花魁が手を離さないんだとノロケ始末。

遊び人の二人は昨晩全然持てなくて、すねているところに、若旦那にこんな風に言われて面白くない。

そこで二人は「じゃ、先に帰りますよ」と言うと、すると若旦那が「帰れるもんか、三人一緒に帰らないと大門で捕まりますよ」

柳家喬太郎 猫久

猫久は、小さん師匠の十八番。

マクラで、花緑師匠が真打になった時に披露口上の公演を一緒に回った時の事や落語協会に小さん師匠の同級生がいたことなど、落語よりも長く話していました。

さて、猫久という落語ですが、貧乏長屋に住んでいる久六という八百屋さん。大人しく怒ったところ見たことがないことから猫久さんとか猫さんと呼ばれていた。

同じ長屋に住む熊さんが、ある日血相を変えて長屋に戻って来た猫さんをみた。帰るなり女房に「今日と言う日は簡便ならねぇ、刀をだせーー」と女房に迫る。

女房は止めるどころか、刀を出し神棚に向かって上げて拝み、三度ばかり頭の上に戴くと亭主に渡し、急いで家を出た。

この一部始終を見ていた熊さんは、驚いたのと同時に誰かに言いたくて仕方ない。髪結いでこの事を云うと、そこに居た侍が訳を知りたがったので、事の一部始終を告げた。

侍は猫久という人物を化け物と勘違いしていたが、よくよく説明を聞くと、一大事に女房の取った行動に感動。自身の息子にもそのような嫁が欲しいと感心しきり。

熊さんは、その話を自分の女房にしようと帰ってみたが、家ではおかずの魚(イワシ)を本物の猫に取られてしまい、猫を退治しようと女房にすりこ木を渡すようにいうと、すりこ木を神棚に向かって三度ばかり頭の上に戴いて亭主に渡す。

当時、魚料理は臭いが付くからと女房は作りたがらなかったらしいです。

魚をすり身に知るのは、魚屋さんか亭主だったそうです。だから亭主はすりこ木を使い慣れていたので、刀の代わりにすりこ木を持って来いと言ったとか・・・

柳家喬太郎 うどん屋

この噺の一番の見せ場はうどんを食べる所ではないでしょうか。

マクラでは地方公演で秋田に行ったときに食べたおそばの話しから落語に入っていきました。

屋台を担いで売り歩くうどん屋さん。

おーーい、うどん屋さん、と声を掛けられ屋台を下ろしてみると酔っ払い。

寒いからちょっと火にあたらせろと言い、今日のめでたい話をし始めるので仕方なしに聞いている。

そのうち注文するかと思いきや、うどんは食べないと言って去ってしまう。

全く商売にならない。

「うどーん、鍋焼きうどーーん」と売り歩いていると、今度は女が呼び止めたので、行ってみると「赤ん坊が寝てるから静かにしとくれ」と言われる始末。

今日は商売にならねーなーーと思っていたら、とある大店の前で擦れた小さな声で「うどん屋さん、一つ下さいな」と奉公人。

なんでこんなに声が小さいのか?これはもしかすると、店の主人や番頭さんに見つかるまずいのか。これだけの大店だから2,30人は奉公人がいるはずだ。

見つかるとまずいから一人ずつ食べに来ているかもしれない。もしかすると今日一日分の商いがここで出来ると勝手にもくろんでしまう。

うどん屋さんも気を使ってなのか、小声で対応をする。

さてここで奉公人がうどんをすする場面。喬太郎さんがうどんをすするんですが、本当に本物のうどんを食べている様に見えるから不思議。

どんぶりから湯気が立っているようで、お汁の香りまで伝わってくるような気がしました。これが芸なんだと感心させられました。

そして食べ終えてお代を払ったときに「うどん屋さんも風邪をひいたのかい」

この日は、古典落語を4作も聴くことができ感動しました。

終演後、ロビーには公演ごとに描かれた色紙を見ることができました。その日その日の公演の感じが伝わりました。

そして驚いたのは、出演した花緑さんもロビーに居たんです。居たというよりも演者も観客も出口が一緒のようでした。

ほんの1,2mのところに花緑さんです。周りの方と気さくに会話をしながら会場を後にしていました。

生で観る落語は、まるで演劇をみているかのよう、素晴らしい話芸です。

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