落語演目 あらすじ

落語 二番煎じ 寒い冬に聞きたくなる噺

二番煎じ あらすじ

火事と喧嘩は江戸の華と言われていますが、江戸時代の火事は一度起きるとひとたまりもないほど。特に冬は火事は起きる可能性が大いにあります。

そこで、自分の町内は自分たちで守ろうと商家や名士たちが集まり夜間に町内を見回ろうと自身番という組織が出来上がりました。

とは言ううものの冬の夜の冷え込みは半端ないくらい冷えます。ヒートッテックのような洋服もホカロンもあるわけもなく着物の上に袢纏を羽織って見守ります。

あまりにも冷えるので、月番の旦那の提案で夜回りを二班に分けて交代で回ろうと言うことに。

この提案には一同が賛成し、早速月番の旦那がチーム編成

まずは最初の班が夜回りに出かけ、残った班は番小屋で暖を取りながら待っているという具合。

最初の班はチームリーダーが月番の旦那で、他の人選は次の通り。

・月番の旦那(リーダー)
・提灯係の宗助さん
・拍子木係の歌のお師匠さん
・鳴子係の旦那
・金棒係の辰っあん

それでは、夜回りに出発です。

ここ数年は大都市圏ではあまり見られなくなったと思いますが、夜になると町内の方々が「火の用心!」の掛け声の後にコンコンと拍子木を打って回っていた光景ですね。

今なら、これでもかというくらいの防寒ですが当時は今以上に冷え込んでいる。

拍子木は着物の袖に仕舞い込んでコンコンとやるものですから全く響かない。

鳴子は横着をして鳴子の紐を帯につけてぶら下がった鳴子を膝で打つ。

金棒は、引きずるのでほとんど聞こえない。

寒いので誰も「火の用心!」の掛け声がない。

月番の旦那が、拍子木係の謡の旦那にお願いすると「火の用心!」とならず「ひ~の~よう~じん」と謡調になる始末。

鳴子係の旦那に頼めば都々逸調になっていまう。

こんな調子で、とりあえず番所までたどり着き次の班にバトンタッチ。

とにもかくにも冷え切った体を温めようと、火鉢に手をかざして暖を取っていると、誰かが「出掛けに娘が持たせてくれた」とお酒の入った瓢箪を出す。

すると月番の旦那が「あなたね、どうしてそういうものを持ってくるんだね。ここをどこだと思ってるんだい」と言うものの
「辰辰っあん、土瓶の中にお茶が入ってるだろ。それを捨てちゃってね。それにいれたらどうだい」

「酒を入れてどうすんだい」

「バカな事を言うね。冷で飲んだら体に毒だから燗していただくんだよ。土瓶に入れときゃお役人が来たってわかりゃしないよ。実はね私も持て来たんですよ。宗助さん、そこの戸に突っ張り棒を指しといて」


すると、もう一人が「実はあっしは酒の肴に猪の肉を持ってきたんで。」
「猪の肉!あなた気が利いてますよ。でもね、鍋がないじゃないか。」
「鍋は背中に背負ってきました。」と袢纏を脱ぐと背中に鍋がある。

これで、酒も肴もそろって皆で回し飲みをしながら獅子鍋をつつく。

こんあ調子でいつの間にやら酔いも周り都々逸を歌いながら意気揚々とやっていると、戸をたたくような音が聞こえてくる。

月番の旦那は、犬か何かだろうよ「シッシッ」と。

すると、さらに戸がドンドンと叩かれ「番はおるか!早く戸を開けと!」

なんと、このタイミングでお役人が見回りに来てしまった。

一同は慌てて土瓶を鍋を隠して戸を開ける。

するとお役人は「拙者が戸を叩いた時にシッシッと申したな」

月番の旦那は「滅相もございません。寒いので火(し)を付けいようと言ったのでございます。」と、苦しい言い訳。お役人は「先ほど土瓶を隠したな。」

仕方なく土瓶を出し「風邪気味なもので煎じ薬を飲んでおりました。」

するとお役人は「そうか、ならば拙者もその煎じ薬とやらをもらおうか」そう言って酒をグイっと飲み干す。

お役人は「この煎じ薬は本当に効くのか?もうちょと試してみよう」と、ぐいぐいと飲み始める。

そして「鍋のようなものもあったな」と。

観念して鍋も差し出すとお役人はぺろりとたいあげてしまう。

月番の旦那が「もう煎じ薬がございません。」

すると、お役人は「拙者は一回り見回ってくる。それまでに二番を煎じておけ」

二番煎じは、前半の楽しさと後半の楽しさがある噺

前半は、夜回りの5人が寒さを凌ぎながら、特徴のある「火の用心」の掛け声や道具をいい加減に扱う様を描いています。

寒さが厳しいながらも、何とか役目を果たそうとするも、拍子木はちゃんと打てない、「火の用心」の掛け声は長唄のようになったり都々逸のような調子だったり、町内を回る様がなんとも滑稽な状況です。

後半は番小屋に戻って、みんなの気持ちが同じで大人の楽しみとして「お酒」と「鍋」で体を温めたい!と。

お酒を飲むために、夜回りに行ってきたようなもので、結局はみんなお酒が大好きなんです。

そこに、お役人さんが番小屋を見回りに来るんですが、お酒と知りつつ煎じ薬と言われて、何も咎めずに飲むという、お互いに大人の対応をするんですが、立場を上手に利用して「二番を煎じておけ」という洒落がわかる粋な感じですよね。

この部分が落語のいいところなんですよ。

恵比寿ルルティモ寄席2021

今回、この「二番煎じ」は「恵比寿ルルティモ寄席2021」に出演された三遊亭兼好さんが高座にかけました。

おおよそ40分くらいの割と長めの尺でした。

このほかに「春風亭一之輔」「桃月庵白酒」「橘家文蔵」という豪華な顔ぶれでの落語会です。

三遊亭兼好さんは、笑点でおなじみの三遊亭好楽師匠のお弟子さんです。

話のリズムと描写がよくて、本当に5人の旦那衆がそこにいて夜回りしている情景が浮かんできます。

こういう話し方をされると、「落語を聞く」と言うより「落語を観る」という表現がぴったりなほどです。

お酒を飲むシーンは、本当に飲んでいるようで観ているこちらも飲みたくなるほどです。

是非ですね、寄席やホール落語などに出かけて生で観て下さい。

でも、まだまだコロナが怖いという方もいますので、ご自宅でDVDやCDでも楽しめます。

コロナ禍も過ぎ去ったことですから、ぜひ寄席やホール落語で楽しんで下さい。

落語 厩火事(うまやかじ)あらすじ

今回のあらすじは「厩火事(うまやかじ)」です。落語には、いくつかのカテゴリーに分かれます。

落語には滑稽噺・人情噺・怪談噺などの古典落語と現代の落語家さんが創作した新作落語があります。

こちらでは主に古典落語のあらすじを紹介しています。

今回は、夫婦の絆を描いた「厩火事(うまやかじ)」という話です。

厩火事 あらすじ

厩火事 登場人物

登場人物:お崎さん(髪結の女房)、お崎さんの亭主、夫婦の仲人

噺に出てくる言葉

落語には、現代では使われなくなった言葉や職業などが出てきます。今回の厩火事に出てくる、ちょっと難しそうな言葉を説明します。

厩(うまや)
いまで言うところの「馬小屋」です。

髪結(かみゆい)
現代でなら「理容師さん・美容師さん」でしょうか。お客さんのところに出張して髪を結ってあげていたそうです。結構稼ぎのいい職業だったようです。

唐土(もろこし)
中国のこと。当時は唐土と呼んでいました。

幸四郎(こうしろう)
歌舞伎役者の松本幸四郎のこと。

あらすじ

お崎さんは「髪結」の仕事をしており、亭主も同業者。しかし、亭主の方は最近ほとんど働かずに昼間から家で酒を飲んでる始末。

夫婦は女房が亭主よりも7歳年上で夫婦になって8年ほど経っている。子供はいないが、女房から見たら亭主は子供のようなもの。

仕事が忙しくて帰りが遅いと、変な勘繰りをされた上に怒鳴られて、挙句の果てに夫婦喧嘩に発展。最近はこの夫婦喧嘩も絶えなくなり、遂にお崎は仲人のところに相談にやってくる。

客商売していることも影響しているのか、とにかくよく喋るし、ちょっと勝気な性格の女房は、仲人に亭主の不満をぶちまけて、遂には「別れる」と切り出す。この時点で「別れる」気などないが、ついつい愚痴が勢いあまって口から出てしまった。

とはいえ、仲人はなだめてくれると思ったら大間違い。なんと、別れる事を進めてきたんです。

お前さんのところの亭主は、お崎さんが働いているのに昼間から仕事もしないで酒を飲んでる。などなど亭主の悪いところばかりを言ってくる。

そもそも別れる気がないお崎さんからしたら面白くもなんとも無い。さっきまで亭主の愚痴を溢していたのに、今度は亭主のいい所を話だす。優しいだの人情があるだのなんだかんだと惚気だす。

そこで、仲人は人心について話を始めた。

孔子のたとえ

孔子は一頭の白馬を大切にしていました

ある日、孔子の留守中に厩が火事になってしまいました。

家来は必死になって白馬を救おうとしましたが、白馬を死なせてしまいました。

帰宅した孔子は、事の顛末を聞き家来が無事だったことを喜び、馬の事については一切何も言わなかった。

仲人は、本当の人の偉さというのは、こういう時にわかるものだと言いました。

そしてもう一つ話を続けました。

瀬戸物に凝っているある主人が、お客様に高価な瀬戸物を見せた後、片付けを奥さんに頼みました。

奥さんは、慎重に片付けをしていましたが誤って瀬戸物が転げ落ちました。

主人は、奥さんのことよりも瀬戸物が壊れていないか心配。

これが原因で奥さんは実家に戻ってしまいました。

この話が世間に知れ渡り、未だに主人は独り者。

不人情とはこういうことだと、仲人が説明しました。

これを聞いたお崎は、自分の夫も瀬戸物に凝っていることを仲人に伝えた。

仲人は、大事な瀬戸物を壊して女房とどちらを大事にするか試してみると言いと諭す。

お崎が家に帰ると、夫は夕食に支度をしていた。

これはチャンスと、夫の大事な瀬戸物を転んだふりをして、大げさにひっくり返しみました。

すると、夫は瀬戸物に目もくれず女房のお崎のもとに駆け寄り、大丈夫か?けがはないか?と尋ねました。

お崎は「そんなにあたしが大事かい?」と聞くと、

「当たりめぇじゃねーか!お前が怪我したら、明日から遊んで酒も飲めやしねぇ」

微妙なオチですね。女房が大事なのは本当ですが、その理由がなんとも言えませんね。

それにしても、当時の髪結いの仕事は、かなり稼ぎがいい仕事だったようです。

今の時代なら、稼ぎもなく昼間から遊びほうけている夫を養う奇特な女性はいませんね。

落語 粗忽の釘(そこつのくぎ)あらすじ

粗忽の釘は、滑稽噺の一つです。間抜けな亭主が引っ越し先で巻き起こす噺です。

現代ではワンルームのアパートの壁が薄くても、どんな人物が住んでいるかわかりませんが、落語では隣近所の事は筒抜けの世界です。

あらすじ

引っ越し当日、家財道具一式を担いで亭主だけが新居へ向かう。

ところが後から向かった女房のほうが先に到着して、荷物の整理をし夕方ごろにやっと亭主が到着する始末。

どうして先に出発した亭主が後に到着するのか、イライラした女房が訪ねると、途中ですったもんだがあって、自分が引っ越しをしていることを、すっかり忘れてしまったという粗忽さ。

あまりに粗忽な亭主に呆れた女房。怒るきもなくなった女房は、残りの荷物は明日片付けるから、せめて箒(ほうき)を掛けるために釘を打って欲しいと頼む。

この粗忽な亭主の職業が大工。職業柄、釘を打つなんて朝飯前。ところが、あれこれと女房に指図されて腹が立ち、とんでもなく長い釘を打ち付けた。

さらに釘を打ち付けたところは柱じゃなくて壁。

そもそも長屋の壁はとても薄くできている。

隣の物音が聞こえるのは当たり前。多少の物音は気にしない。

でも、釘を打ち付けてしまってとあってはさすがにまずい。

それを見た女房は、きっと釘は隣の家の壁に突き出している。

なにか家財道具などに傷を付けていやしないかと気が気でない。

そこで、亭主に隣の家に様子を見てくるように言いつける。

ちゃんと丁寧にお詫びをするようにきつく釘を指して、亭主を行かせた。

「なんでぃちくしょうめ」と文句を言いながら、行った先は隣家ではなく向かいの家。

とりあえず、引っ越してきたことと、壁に釘を打ち付けたことを説明したが、そこの住人から「いくら何でも通りの向かいの家から打ち付けた釘がこっちに来るわけがない」と言われて、この亭主やっと気が付いた。

慌てて女房のところに戻り、事の顛末を伝えると、もう一度隣家へ謝りに行くように言われる。

とにかくそそっかしくてすぐに忘れてしまうので、落ち着いて話をするように諭される。

隣家に着くなり、まずは女房から言われた一言「落ち着いていれば一人前なんだから」を思い出し、なんとか落ち着こうと、煙草を取り出す。

隣家の主人は、いったいこの人がどこの誰からもわからないまま、煙草盆をだしたり、座布団を進めてとりあえず話を聞いてみる。

しかし、肝心の釘の事が出てこない。

隣家の夫婦のなれそめや自分たちのなれそめなどを延々と話していたら、しびれを切らした隣家のご主人が「いったいなんの御用で?」と聞いてみた。

すると、そこでやっと思い出して釘の話を始める。

隣家のご主人は、どこいらへんに釘を打ったのかと尋ね、なんと釘を見つけた。なんと釘が刺さっていた場所は、仏壇の阿弥陀様の頭の上。

「阿弥陀様の上?ほーーお宅はここに箒を掛けるんですか?」

滑稽噺

この「粗忽の釘」は真打以外にも二つ目の落語家さんも高座にかけるほど、わかりやすく、随所に笑いがちりばめられている噺になります。

江戸時代の原作とされる噺がありますが、明治や大正時代には、冒頭部分で亭主が引っ越しの荷物を担いでいるときに自転車にぶつかって、ひと悶着があったります。

高座の時間によってマクラと言われる導入部分により、多少噺が変わります。

またサゲも、今回紹介した話よりさらに続きがあって、「酒を飲むと我を忘れます」というのもあります。

この噺は、新宿末廣亭で「古今亭菊志ん」師匠が高座にかけてました。

やはり寄席できく落語は、その場の雰囲気に合わせるので、サゲが変わったり噺の内容もアレンジしてあったりして、いろいろと工夫されています。

YouTubeやDVDで観たり聴いたりするのもいいですが、ぜひ寄席に足を運んでみて下さい。お勧めは新宿末廣亭です。
と、言いながら今はコロナ禍で寄席も入場制限をしてます。

寄席に足を運びにくい状況です。オンライン配信で講演している落語家さんもいます。

ぜひ、そちらでも落語をお楽しみください。

文春オンライン落語

2021年5月28日まで、Youtubeにて鈴本演芸場チャンネル、浅草演芸ホールチャンネルにて、無料で落語を視聴できます。


鈴本演芸場チャンネル

浅草演芸ホールチャンネル


古典落語 「尻餅」 大みそかの長屋での出来事

古典落語に「尻餅」という噺があります。

年末の貧乏な一家のお噺です。落語の世界だから許される愉快な内容です。

「尻餅」あらすじ

年の瀬に長屋に住んでいる一家は、正月を迎えるために、餅を搗くことができないほどの貧乏。

隣近所からはぺったんぺったんと餅を搗く音が聞こえてくる。

この状況にたまり兼ねたおかみさんは、亭主に音だけでもいいから餅を搗いている様にして欲しいと頼むんです。

この言い回しが、落語の世界のおかみさんの度量ですね。

ストレートに言わない。本当はお金を工面して来いと言いたいところ。

ところが、亭主の八五郎が間抜けと来てます。

「よし!任せておけ!その代わり絶対の怒るなよ!何が起きても起こるなよ!」と。

夜、子供が寝たのを確認すると、亭主は一旦長屋から出ていく。

そしてここから芝居が始まる。

周り近所に聞こえるように、餅屋を装って自分の家にやって来る。

「餅屋でございます。八五郎さんのお宅はこちらですな。」

こんなことしても声でわかっちゃうのにと、思いながら噺は進みます。

すべて”音”だけで独り芝居で進めていきます。

ただ、お餅を搗く音だけは八五郎だけではできません。

餅屋さん(八五郎):「では、餅を搗きますので・・・

八五郎:「おっかあ、臼を出してくれ」

おかみさん:「臼なんてないよ」

八五郎:「いいから尻を出せ」

おかみさん:「えっ?お尻?なんで?」

八五郎:「尻を叩いて餅を搗く音にするんだよ、いいから着物をめくって尻を出せ!」

ここで八五郎は、初めて女房の尻を見て、「白いお尻だなぁ」と見とれてしまう。

当時は、バックスタイルで事をすることがタブーとされていました。

おかみさんは、仕方なしにお尻をだすと、手に水を付けてお尻を叩き始めます。

「ペッタンペッタン」だんだんと白いお尻が赤くなってきておかみさんがたえきれなくなります。

おかみさん:「餅屋さん、あと何臼搗くんですか?」

餅屋(八五郎):「あと二臼あります。」

おかみさん:「じゃ、残りはおこわにしておくれ。」

尻餅はいつごろ作られたのか

原題は中国明代の笑話本「笑府」に類話があり、これが元ではないかと言われています。

日本では明和五年(1768)に抄訳が刊行され、以後に多くの落語、小ばなしのネタ本になった本です。

この中に、似たような話があるのですが、特定はできていません。

江戸時代の太平の世で生まれた噺です。

サゲ(落ち)が関東と上方では違う

上方落語で演じられているときのサゲ(落ち)は「白蒸(しろむし)でたべとくれ」。

江戸落語では「おこわにしておくれ」という風になります。

「白蒸(しろむし)」というのは、もち米を蒸してまだ搗いていない状態です。

おかみさんからしたら、「もうこれ以上、お尻を叩かないで!」と言いたかったのでは。

大阪の食文化に、もち米を蒸して食べる習慣があったようです。

白蒸しを竹の皮に包んで梅干をいれたものがお弁当や携帯食としてお祭りで食されました。

だから、上方落語のサゲのほうがいいと思いますが、江戸では白蒸しは馴染みがなかったため「おこわ」になったのでしょう。

笑福亭と三笑亭

上方では笑福亭系の噺で、五代目・六代目松鶴の十八番。

江戸では八代目三笑亭可楽の演出が現在の基本になっています。

貧乏でも知恵を働かせて暮らしている江戸時代の情景が浮かんでくる噺ですね。

それにしても、よくこんな間抜けな八五郎に奥さんがいると感心したことと、この奥さんが八五郎の無茶ぶりに付き合うのが現在ではありえない夫婦像です。

それにしても、甲斐性のない男ほど見栄っ張りなのでしょうか。

思わず笑ってしまう噺ですが、毎年つつがなく年末を迎えたいものです。

桂歌丸師匠はニュヨーク公演で「尻餅」を話しました。

きわどいところもあるネタですが、反応は良かったそうです。

落語 怪談牡丹灯籠 立川志の輔さん

怪談 牡丹灯籠 三遊亭圓朝さん作の落語。

三遊亭圓朝さんは、江戸時代末期に生まれ、明治33年に亡くなるまで活躍された落語家です。

この作品はあまりにも壮大なドラマであり、登場人物も多く、怪談というよりも人間が持っている強欲さと武士の忠義を描いた作品だと思います。

怪談はこの物語の一部に出てきますが、主人のために忠義を尽くす武士の物語色が強いと感じました。

怪談 牡丹灯籠 壮大な物語

初めて牡丹灯籠を聞いたのは2017年夏でした。

本多劇場にて立川志の輔さんの公演でした。

当時、圓朝さんは1日2時間、15日連続約30時間をかけ、この物語を演じました。

昔は録音・録画する機材なんてものはあるわけないので、速記者に頼んで高座で語ったおの物語を記録してもらったそうです。おかげでいまでも語りつがれています。

現代では30時間も公演できませんので、場面ごとに分けて高座にかけられています。

2018年7月にお亡くなりになられた「桂歌丸さん」が「栗橋宿のくだり」を観たことがありますが、ゾッとする感じで熱演されていたのを記憶してます。

立川志の輔さんの牡丹灯篭は約2時間

本多劇場で立川志の輔さんの牡丹灯籠は2部構成になっていて、前半が物語の解説で後半が落語となっています。

だから初めて牡丹灯籠を観る方も、わかりやすい演出となていました。

ただし、前半の解説で驚いたのは、牡丹灯籠という物語は登場人物がめちゃくちゃ多いので、憶えておくと各場面の情景が浮かんで、より一層楽しめますよ。

牡丹灯籠 登場人物の整理

登場人物が、とにかく多い。落語でこれだけ登場人物が多い作品はあまりしらない。

・飯島平左衛門(家督を継ぐまでは平太郎)

・お露(平左衛門の一人娘。のちに幽霊となって現れます。)

・お國(平左衛門の妾。とんでもない悪女。)

・黒川孝蔵(酒がもとで、身分も嫁も失う。平太郎の家来に絡んで切り殺される。)

・孝助(飯島家に方向に来た忠義な若者。実は黒川孝蔵の息子。)

・萩原新三郎(浪人・・田畑や長屋を所有しており、その収入で生計を立てている。)

・山本志丈(いちおう医者であるが、かなりいい加減な男)

・伴蔵とおみね(新三郎の所有する長屋の住人。夫婦。のちのち欲を出す。)

・源三郎(飯島家の隣家の次男。お國と通じており、やがて一緒に主人である平左衛門を裏切る不届きもの。)

・白翁堂勇斎(新三郎の長屋の住人。稼業は人相見。よく当たる。

・新幡隋院の和尚(勇斎とは知り合いであり予見が当たる。)

・相川新五兵衛(孝助の義理の父親にあたる。)

・お徳(相川新五兵衛の一人娘。やがて孝助と結婚する。)

・相助(飯島家の奉公人。お國や源三郎にいいように使われる。)

・亀蔵と時蔵(孝助を殺そうとした悪い奴ら。)

・おりえ(孝助の実母。孝助が四歳の時に黒川孝蔵と離縁。)

と、このように物語が進むにつれて登場人物がだんだんと増えてきます。

これだけの登場人物がいるので、志の輔さんは名前が書いてあるボードを舞台袖から引っ張り出して、観客に説明してくれました。

牡丹灯籠 あらすじ

若かりしころの平左衛門が江戸は本郷の刀屋(藤新)で刀を観ていた時に、家来の藤助が黒川孝蔵に絡まれ、事の成り行きから平左衛門が孝蔵を切り殺してしまった。

お咎めはなく、その後、家督を継ぎ結婚もして一人娘を授かるも、奥様はなくなってしまう。奥様のお付きをしていたお國を妾としたが、ここからが間違いの始まり。

妾のお國と一人娘のお露の仲が悪く、お國は平左衛門へなんだかんだと言って、柳島に別宅を購入しお露を住まわせた。

そこへ、飯島家に出入りしていた山本志丈が萩原新三郎を伴って、梅を見に出かけて帰りに、柳島の別宅へ立ち寄った。

そこで、お露と新三郎は恋仲となるも、草食系の新三郎は一人でお露に逢いに行くことができない。

もっとガツガツしていれば本当に夫婦になれたかもしれないのにもったいない。

お露もまだかまだかと、新三郎がやってくるのを待ち焦がれていたが、恋煩いが重症となり亡くなってしまう。後を追うようにお付きのお米もなくなってします。

二人は新幡隋院に葬られるも、新三郎との恋を成就したいお露は幽霊となって、毎晩新三郎の元を訪れるようになった。

毎夜、お米が牡丹の燈篭を持ち、駒下駄のカランコロンという音とともにやってくるんです。

夜よなかに新三郎のところに誰かがやって来ては、話し声が聞こえるのを不思議に思った、長屋の住人の伴蔵は、こっそりと覗いてしまった。

まさか!幽霊と会話している新三郎

伴蔵は、新三郎が幽霊と話しているところを覗き見し、翌朝まだ日が昇る前に人相身の白翁堂勇斎の元に行き、昨夜のことをすべて話した。

勇斎は、さっそく新三郎の元を訪れ、訪ねてくる娘が幽霊であることと、新三郎に死相が出ていることを告げる。

新三郎はお露が本当に死んでしまったことを確かめつために、お露が住んでいた別宅へ向かい真実をしる。

勇斎に薦められて、新幡隋院の和尚に相談すると、お札と如来像をもらった。

新三郎は、お札を家の入口すべてに貼り、如来像は首から下げて家に引きこもった。

効果は抜群で、毎夜毎夜カランコロンと駒下駄の音とともに、お露とお米が現れるが、新三郎に家に入れない。

伴蔵がお露のアシスト!ついに新三郎の元に侵入成功

伴蔵は、毎夜訪れるお露とお米から、新三郎の家に入れるように懇願される。ところが、おみねは伴蔵が浮気していると勘繰り事情を聴くが信用しない。

当たり前ですよね、幽霊と会話していると言っても誰も信用しません。

伴蔵はおみねに幽霊を覗き見させて、信じてもらうと悪だくみを思いつく。

幽霊にお金を持ってくれば、お札を剥がしてあげる。

この話に、二人の幽霊は承諾して、実家からお金を持ち出し、これを伴蔵に渡す。

そして、新三郎の首に掛かっている如来像をとれば、幽霊との約束が果たせたうえに、高価な如来像を手にいてられると嘘を言って新三郎から如来像を捕ることに成功!

これで、幽霊の二人は願いが叶い新三郎に逢うことができ、新三郎はなくなってしまう。

孝助が邪魔なお國と源三郎!不倫のなれの果てに

孝助が飯島家に方向に来た理由が、父親である黒川孝蔵の仇を打つため、剣術を学びたいという理由。

飯島平左衛門は剣術の達人であり、孝助にとってはなげったり叶ったりの奉公先。

孝助は主人の平左衛門に尽くし、やがて可愛がられる存在になる。

そして孝助が剣術を学びたいと懇願され、その理由をしると、その仇が自分であることを悟る。

それでも、孝助をかわいがるも、妾のお國にとっては邪魔な存在でしかない。

隣家の次男坊、源三郎といい中で、平左衛門が仕事で不在の時は、こっそりと源三郎とやることをやっている。

さらに平左衛門を殺してしまおうと計画を立てたが、孝助に聞かれてしまう。

なんとかして孝助を陥れようと、あの手この手を使うも、平左衛門は薄々気づいていた。

そんな、ある夜に孝助は主人の平左衛門のために、お國と源三郎を殺して自分も自害しようと決める。

実行に移したものの、誤って主人をやりで突いてしまう。

すでに覚悟を決めていた平左衛門は、孝助を逃がし手負いの状態のところへ源三郎が現れる。

源三郎はとどめを刺すも、足を怪我してしまう。

飯島家にある金品を持って、お國と逃亡を企てる。

主人の仇を打つ!孝助が旅たつ

飯島家から婿養子へいく予定の相川家に行き事情を話した。

相川新五兵衛はとにかく、飯島家戻ろうとする孝助をなだめた。

なんとか気持ちを落ち着かせた孝助は仇討に旅起つと言い出したので、そのまえに娘と結婚をしてほしいと頼み、孝助は結婚した。

孝助は、お國の出身地の北陸まで足を延ばすも、一向に足取りは掴めない。やがて一年を迎えるころに一旦江戸にもどる。

江戸にもどった理由は、平左衛門の一周忌を行うためだった。

栗橋宿で思いもよらない展開に発展

新三郎の長屋の住人だった伴蔵とおみねは、伴蔵の出身地栗橋で幽霊からもらったお金で商売を始める。

意外と評判になり、商売は順調にいく。

ところがここから意外な人物たちが出てくる。

商売を成功させた伴蔵は、そのうちとある店で働いている女中に入れあげる。

これが、女房のおみねにばれて、夫婦喧嘩となる。おみねは、いますぐ家を出るからお金をよこせと要求する。

伴蔵は仲直りを装い、二人で食事に出かけるが、帰り道でおみねを殺害してしまう。

ひどい男ですね。ところがですよ、女房が殺された哀れな亭主を演じていたのもつかの間、店で働く女中のおみねが高熱でうなされる。

奇妙なことに、自分たちのいままでの悪事をペラペラとしゃべりだした。

内心ではヒヤヒヤしていた伴蔵でしたが、栗橋宿に江戸から医者が来ている聞き付けた。

いざ、医者がやって来て驚いた。あの山本志丈じゃないか!

悪事をしゃべる女中をみて、山本志丈は気が付いた。

一周忌供養のあと、孝助は実母に出会う

一旦江戸に戻った孝助は一周忌法要を済ませた。一年も仇討の旅を続けているうちに、家で待っていたお徳はお子供出産。

旅起つ前に、やることは済ませていたが、まさか子どおができているとは思っていなかった孝助は驚いた。

さらに、驚くことが起こる。一周忌法要後に和尚から、神田に引っ越したあの白翁堂勇斎のところに行くように勧められる。

勇斎のところに行き、自身の望みは叶うかと尋ねると、危ういことがあるが望みは叶うと告げられた。

さらに会いたい人がいるが、たぶんかなわないだろう、でも生死はどうかと尋ねた。

するともう会っていると言われた。実はこの時、四十過ぎの女が勇斎のところを訪れていた。

この女こそ、孝助の実母であった。

驚きはこれだけじゃなかった!実母の嫁ぎ先の娘がお國だった

実母は再婚していた。その嫁ぎ先の娘がお國だった。

伴蔵といい中になったが、これは伴蔵からお金をせしめるための作戦だったが、うまくいかず宇都宮の親せきを頼ることになった。

その宇都宮が孝助の実母が住んでいるところだった。

事情を聴いた実母のおりえは、孝助に仇を打たせてあげると約束をする。

江戸に遊びに来ていた実母のおりえは、急遽宇都宮へ帰ることになる。

ここまでくると、話は大詰めですが、かなり急展開な場面が多くなります。

宇都宮に着くと、孝助は旅籠(いまでいうホテル)にとまり、実母と打ち合わせたとおりに仇討の準備をして、予定の時間まで待っていた。

ところがところが、ここで実母のおりえが裏切るんですよ。

お國は幼少時から、ずる賢く男を手玉に取る性格で厄介者ではあったため早くから方向に出されていた。

そんなお國でも、おりえの嫁ぎ先でもあり恩義を感じて、匿っていたお國と源三郎を逃がしてしまう。

それを知らない孝助は、時間通りに敵討ちにやってきたが、すでに逃げていた。

事情を聴いたら、おりえが逃がしたことがわかった。おりえは自害をして孝助に詫びるとともに、逃走経路を伝える。

必死に逃走経路をたどっていくと、お國と源三郎のほかに、亀蔵と時蔵が奉公人を首になって江戸から、この地にやって来て山賊まがいの追いはぎをしていた。

お國と源三郎は亀蔵と時蔵を言いくるめ、孝助が来たら殺してしまえと命令。

しばらくすると、孝助がやって来て、亀蔵と時蔵の襲撃を受けるも、何とか交わし二人を成敗。

そしてお國と源三郎もついに捉えて首をはねて、無事に主人の仇を討った。

牡丹灯籠 まとめ

牡丹灯籠は怪談噺だと思っていたが、こんなにも壮大な噺だと思わなかった。

これだけ壮大な噺を、約2時間で演じる立川志の輔んさんが凄いと実感しました。

ただ、これだけすごいと、あと数回見ておいたほうがいいかもしれないです。

ブログには書きましたが、ところどころ間違っていたり記憶違いがあるかもしれません。

だから、来年もみておこう!

追記

2018年の公演は8/2日から12日まで下北沢の本多劇場で行われます。

既にチケットは完売のようです。

 

夏の夜に文庫本で牡丹灯篭を堪能してみませんか?

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落語 芝居噺 宮戸川 柳家喬太郎さん

好きな演目の一つに「宮戸川」があります。

古典落語の一つとして古くからあるのですが、それほど多くの落語家さんが高座で、この噺をしていないようです。

この噺は、「お花と半七の馴れ初め」の前半部分と、夫婦になった後の後半部分にわかれます。

前半と後半を演じると30分以上の展開となるため、前半だけ口演されることがあります。でも、前半だけだと「宮戸川」は一切出てこないんです。

これだけの噺になると、寄席では時間的に口演できないため、独演会などで演じられる噺です。

また後半部分は、とても凄惨な部分もあって落語と言うよりも、芝居を見ているような感じにさえなります。

そのためなのか、宮戸川を口演する噺家さんも少ないのだと思います。

柳家喬太郎

宮戸川を初めて観たのは、TBSテレビの「落語研究会」で放送されていたときでした。

内容も知らずに噺を聞いてましたが、「まくら」の部分がなければ、たぶん落ち(さげ)は分からなかったと思います。

柳家喬太郎さんは、「まくら」が非常にうまい落語家さんの一人だと思います。

そして、落語と言うより、一人芝居を見ているような感覚です。

宮戸川は、現在の隅田川の浅草周辺流域あたりをさします。花川戸から駒形くらいまででしょうか。

この宮戸川を演じる落語家さんは非常に少ないそうです。

その理由はのちほどに、噺のあらすじを紹介します。

宮戸川 前半 半七とお花の出会い

日本橋小網町の質屋のせがれ半七は、友人宅で将棋を指していて帰りが遅くなってしまい、締め出しを食った。

勘当を言い渡されて半七が謝っているところへ、隣家でも同じような騒ぎ。

友人宅でカルタをしていたら帰りが遅くなってしまった船宿・桜屋の娘お花。

こちらは日ごろから折り合いの悪い義母から、締め出しを食った。

半七は、締め出しをくらうと、いつものように霊岸島に住む叔父の家に一泊することにしている。

霊岸島は、現在東京都中央区新川(しんかわ)のこ。隅田川、日本橋川、亀島川に囲まれたあたりになります。

叔父さんのところへ向かおうとしたところお花が、「わたしも一緒」にと言い出す。連れて行くのは良いが、早合点する叔父さんが、お花さんと恋仲だと思われるの嫌なので断ったのですが、なんだかんだ着いてきて、叔父さんに勘違いされる始末。

布団がひと組しか用意されず、半七は仕方ないと思ったのか寝ようとする。お花はまんざらでもない様子。

二人で一組の布団で寝始めると、ゴロゴロ、ゴロゴロと雷鳴。これに驚いたのがお花。思わず半七に抱きついてしまう。

抱きついた拍子に、お花の白い足が見え、半七もその気になって・・・・。

翌日、覚悟を決めた半七はお花と所帯を持つことを叔父さんに告げると、「任せておけ」とばかりに話を進めていきます。

お花の両親は大喜びなんですが、半七の親父さんは頑固者。嫁入り前の娘に半端なことをするやつを家に上げるわけにはいかないの一点張り。

それならばと、叔父さんは半七を養子に貰い、横山町辺に小さな店を持たせて二人が仲むつまじく暮らしたという、お花半七なれそめ。これで前半は終了です。

それにしても、そこまでお節介な叔父さんの存在が落語の中で生きている人物らしくてとても好感のもてる人物です。

こういうのを”粋”と言うんでしょうか。

ここまでだと宮戸川という川は一切出てきません。

宮戸川 後半 凄惨な場面は聞くに堪えないかも?

半七とお花は所帯をもち、四年ほどたったある日、お花は店の小僧を伴に浅草の観音様に参った後に、突然雷がゴロゴロ~と。

勢いよく雨も降り出し、小僧はお花を雷門のところで待たせて傘を捜しに駆け出した。

あまりの雷鳴にお花は気絶してしまったんです。

それを見ていたならず者が三人が、気を失ったお花を連れ去ってしまったんです。

小僧がしばらくして戻ってくると、お花の姿が見当たらない。

血相を変えた小僧は、必死なって探しても見付からない。

店に帰って半七に、お花が行方知らずになったことを伝えると、半七を必死になってお花を探した。

諦めきれない半七でしたが、必死になって探すこと一年。

泣く泣く葬式を出すことになった。一周忌に菩提寺の参詣の帰りに、何気に船宿へ寄り半七がたまたま乗った船で事件が起こるんです。

船頭が舟を出そうとすると、もう一人客が乗ってきた。実は酔っ払った船頭だったんです。

二人の酒を酌み交わしながら舟になっていると、その船頭が一年前に雷門で気絶していた女をさらって輪姦したうえに、お花の実家で働いていた人物で、気を取り戻したお花を殺して宮戸川へ捨てたことをベラベラと自慢げに喋りだした。

半七は「これで様子がガラリと知れた」と芝居がかりになる。三人の渡りゼリフで、

「亭主というはうぬであったか」
「ハテよいところで」
「悪いところで」
「逢ったよなァ」

・・・・というところで小僧に起された。

女将さんが下でお呼びですよ。

「え?、おめぇ今日はお花の・・・・」

「今日は叔父さんの法事ですよ。」

「旦那さんうなされてましたけど、夢でも見たんじゃないですか?」

「夢・・・夢か・・」

女将さんは亭主を起すために小僧を使いに二階へやったところで

「夢は小僧の使いか・・・・」これが落ち(さげ)になります。

昔は、夢を見るのは体が疲れているからだともいわれていて、五臓六腑が疲れると夢を見るともいわれていました。

TBSの落語研究会で柳家喬太郎さんが演じていたのも見ました。

この話はほとんど笑いがありません。特に後半部分はお花がさらわれてから酷いことをされる場面も合って演じる落語家さんも少なくなってしまったようです。

ただこの話のいいところは、最後に夢で終わるところ。よかったーと安堵しました。

落語と言うより舞台でお芝居を見ているようで、背中がゾクゾクするほど痛ましい場面もありました。

笑いがなくても感銘した話です。

でも、演じ手が少なすぎて見ることができない作品です。

演じ手が少ない理由

演じ手が少ないのは、笑いの要素の少ない話のうえ、落ちも夢ときているので、段々と演じ手が少なくなったんです。

柳家喬太郎さん以外は、柳家個小満んさんくらいしかしないのではないでしょうか。

宮戸川が作られたのはいつごろ

この話が作られたのは京都で起こった心中事件を元に1712年に浄瑠璃として作られたものを、初代三遊亭円生がこれを道具入り芝居噺に脚色したのが原型とされています。

明治の中期までは、前半後半を通しで演じていたのですが芝居噺が廃れだし後半部分が演じられることも少なくなって用です。

そして今ではほとんど演じられることがなくなりました。

駒形あたりにいったらこの話を思い出してください。

落語 文七元結 江戸っ子の人情噺 身売りで五十両

落語には滑稽噺・芝居噺・怪談噺などがありますが、今回紹介する「文七元結」は人情噺になります。

三遊亭圓朝さんが創作した長編になります。

長編の上に登場人物が7名以上となり、真打の落語家さんでも演じられる方が限られているほどの噺です。

落語の人情噺というと、お人好しすぎるほどの登場人物が出てきますが、この話は面白みも兼ね備えた演目です。

あらすじ

腕のいい左官職人の長兵衛が、仕事もせずに博打に明け暮れ借金をしても懲りずに博打にのめりこんでいた年末の出来事を描いた話です。

家庭を顧みず博打に負けて帰ってくれば、女房に手を挙げて家財道具は質屋に入れてまでお金を作って博打を打つとんでもない亭主。

現代でもこんな男性が居そうですが、これは落語の世界の噺ですからこれ以上ひどい暴力沙汰が起こることはありません。

親孝行な娘の信じられない行動力

暮れも押し迫った時期に、いつものように博打を打って大負けして身ぐるみ剝がされれ家に帰ってみると、女房のお兼ねがないている。

なぜ泣いているのか聞いてみると娘のお久がいなくなったという。父親の長兵衛は「お久も十七になったんだ。いい男ができてうんぬん」と。

後添いの女房のお兼は、気立てのいいお久が博打うちの父親に嫌気がさして身投げでもするんじゃないかと心配でたまらい。

そのうち夫婦で言い合いになり、いつものように喧嘩が始まったところへ、吉原の女郎屋佐野槌(さのづち)から使いの者がやってきた。

使いの者の話を聞いて驚いた!なんと昨夜からお久を預かっているという。

女将さんが呼んでいるから来てくれと言われるが、博打でお金はないし着るものもないという始末。

女房の来ている着物をひっぺ返し、それを着て吉原の佐野槌へ。

粋なおかみさん登場!これが江戸っ子だ!

女将さんから事情を聞いて驚いたのは長兵衛。

お久は博打で方々で借金を作ったお金を返済して、父親が博打から足を洗ってまじめに働き両親が喧嘩せずに暮らしてほしいということだった。

女将は長兵衛を?りつけるだけじゃなくある約束を取り付けた。

博打でこさえた借金の五十両を渡すから、約束の期日までに働いて返済すれば、お久は返すという。

期間はちょうど一年間という約束。

それまでは預かって、習い事を仕込んでおくと。ただし約束を守れなかったら、「私は鬼になるよ」と。

お久はお店に出すという。お店に出せば刃傷沙汰や悪い病気をもらい受けることもある。

そのことを承知して、必死に働いて請け出しにおいでと。

ちなみに江戸の庶民の平均年収は二十両から三十両と言われていたので、長兵衛さんは平均年収の1.65倍から2.5倍くらい稼いでやっと五十両ですが、生活費のことを考えると平均年収の3倍くらいは稼がないと五十両は返済できないレベル。

いくら腕のいい左官職人でも平均年収の3倍を稼ぐのは困難な金額を、ぽんっと貸し付ける気質が江戸っ子!

人情噺に出てくる女将さんは気風がいい。今の時代もこういった人がいたらと思える一幕です。

まさか!五十両をくれちゃった?長兵衛どうするの?

佐野槌の女将と約束して五十両を懐に入れて、長屋に戻る途中、吾妻橋に差し掛かったところで、若い男が今にも橋から身を投げ出しそうなところを目撃!

人のいい長兵衛さんは、若い男を事情を聴いてみた。

若い男の素性を聞いてみたところ、日本橋横山町三丁目のべっこう問屋近江屋卯兵衛の手代の文七だという。

なぜ、橋から身を投げ出しそうになったのかを現代に置き換えていうと、売掛金を現金で回収したけど、スリにあってしまい帰るに帰れない。振込があればと思ってしまいましたが落語ですし、江戸時代の設定ですからね。

スリにあったというが、いくらすられたのかを聞いて驚いた。なんと五十両だという。

長兵衛さんは、働いて返せばいいじゃないかと諭すが、どうにもこうにもならない。

もし、ここで若い男が身投げすれば寝覚めが悪い。でも、この五十両はお久が見受けして作った五十両。

迷った挙句、五十両が返済できなくてもお久は死なない。でも、この男は身投げしてしまうなら、持っていきやがれとばかりに、自分が五十両を持っている経緯を若い男・文七に説明してその場を立ち去って行ったのである。

男気見せた長兵衛さんですがね、娘のお久はどうなるのさ?いくら落語だとは言え、自分の娘はどうやって女郎屋さんから請け出すの?

健気なお久さんが心配になってきた。

舞台は変わって、べっこう問屋さん。

五十両はスラれていなかった!その理由は?

お店では、文七が帰ってこないので旦那と番頭さんが心配になって待っていた。

そこへ、いわくつきの五十両を持った文七が戻ってきた。「ただいま戻りました。」

旦那様、五十両でございます。と、差し出したから旦那も番頭さんも驚いて文七に聞いてみた。

「その五十両はどうしたんだい」と問い詰めると、吾妻橋での一件を告白。

文七は、五十両を回収したお屋敷で、大好きな碁の相手をしているうちにすっかりのめり込んでしまい、五十両を置いてきてしまった。気が付いたお屋敷の人がすでに届けていたんです。

スリになんてあっていなかったんです。

吾妻橋の一件を聞いた旦那は、商売人だってそのようなことはできないと、たいそう感心したそうです。

文七から経緯を聞き出した旦那は、番頭さんと相談して佐野槌からお久を見受けし、長兵衛の住む長屋へお礼に出かけた。

お兼が長兵衛を問い詰める壮絶な夫婦喧嘩

文七を連れて達磨横町の長兵衛宅を訪ねると、昨日からずっ---と夫婦げんかのしっ放し。

なんと一晩中夫婦喧嘩。喧嘩の途中でいったん休止しようと長兵衛さんが提案するほど。

長屋の人もいつものことと気にしない。江戸時代ってこんな感じだったんだろうか。

そんな喧嘩の最中に、旦那と文七が長兵衛を訪ねてくる。

昨夜の出来事を説明して礼を言い、五十両を返した。

ところが江戸っ子。そう簡単に受け取らない、いったん出したものはいらないという始末。

なんだかんだとやり取りしてやっと五十両が収まるところに収まる。

そこへ駕籠(かご)に乗せられたお久が帰ってくる。

夢かと喜ぶ親子三人は抱き合って大喜び。わかっていても涙が出てくるほど感動します。

さて、近江屋は、文七は身寄り頼りのない身だから、ぜひ親方のような方に親代わりになっていただきたい。

これから文七とお久をめあわせ、二人して麹町(こうじまち)貝坂に元結屋の店を開いたという、「文七元結」由来の一席。

めでたしめでたしな噺です。