好きな落語家の一人が柳家喬太郎さんです。
もうとにかく話が面白いんです。とにかく聞いて欲しい見て欲しいと思う落語家さんです。
どこが面白いのかと言うと、まずまくらが面白い。
このまくらで一気に見ているものを引き付けてしまうんです。
時にお客に問いかけて見たり、喚いてみたり、やる気のないような態度だったりするんですが、いつの間にか引き込まれているんです。
そしていつの間にか本題に入っていく流れ。
本題が古典落語だろうと新作落語だろうと、柳家喬太郎ワールドに引き込まれているんです。
そして落ち(サゲ)が、冒頭のまくらと繋がっているときには、面白いを超えて唸ってしまうほどの心境です。
目次
柳家喬太郎ってどんな落語家さんなのか
柳家喬太郎さんは、サラリーマンを経たのち落語家になった一人です。
生まれは昭和38年で世田谷の出身です。ウルトラマン好きとしても知られています。
世田谷にはウルトラマンの生みの親ともいうべき円谷プロダクションがあったところでもあります。
横浜に引越し、中学時代に落語に興味を持ち、日大付属高校から日大商学部へ進学。
高校時代から落研に入ろうと決め入部し、落語漬けの日々を過ごす。4年生のときに関東大学対抗落語選手権で優勝。
在学中にはテレビにも出演しており、周囲は誰もがプロになると思っていた。そりゃそうですよね。ここまでくれば、たいてい有名な落語家に弟子入りするものですが、本人曰く「普通の人生を送りたかった。」とも言っています。
大学卒業後は大手書店の福家書店に入社し、サラリーマン人生を1年半だけ過ごしました。
本が好きだったから本屋さんへ就職したのはいいのですが、落語への情熱はそれ以上にあり落語家になる決心をして退職。
平成元年に柳家さん喬さんに弟子入り
平成元年(1989年)10月26歳で柳家さん喬さんに入門。初高座は同年12月29日に新宿末広亭にて「道灌」を演じました。師匠のさん喬さんも初高座で「道灌」を演じています。
さん喬さんを師匠に選んだのは正統派の落語を学ぶためとも言われていますが、その後新作落語にも積極的に取り組み、平成15年(2003年)には春風亭昇太さんらと「SWA(創作話芸アソシエーション)」を旗揚げしています。メンバーには林家彦いちさんや三遊亭白鳥さんらがいました。
真打昇進は平成12年 十二人抜きで抜擢
平成10年(1998年)にNHK新人演劇大賞落語部門で新作落語の「午後の保健室」で大賞を受賞。これを気に名前が売れ出し、平成12年(2000年)に12人抜きで真打に昇進しました。
入門から約11年で真打になるなんて、サラリーマンで言えば30代後半で取締役になるくらいの大出世といえます。
通常は入門から3年~5年で二つ目となり、そこから15年くらいで真打になれる人はなります。
普通の会社員なら5年くらいでリーダになってそこからキャリアを積んで40代くらいで課長や部長へとなっていくところを、喬太郎さんは、30代で真打になったんです。
入門時に26歳というから、それなりにいい年齢な訳ですよ。普通に進めば40代後半で真打になってもいいくらいですが、そこは才能なんだと感じます。
それと、いろいろな事を経験をしているからこそ、話に厚みがあるんですね。だから話が面白いんです。
古典も新作もどちらもできる匠
古典落語でも新作落語でも、どちらも見ごたえのある落語家さんです。
古典落語で一番気に入っているのは「宮戸川」です。話は前半後半とあり、後半は内容が凄惨すぎてほとんど誰も演じない落語です。
はじめて宮戸川を観たときには、途中で耳を塞ぎたくなるほど、情景が浮かんでくる語り口にゾッとしたのを覚えています。
そうかと思えば、「時そば」という滑稽な話もこなせる幅広い語り口です。
新作落語には、落語というより演劇のように思えるような演じ方など、落語と言う型を飛び越えたエンターテイメント性も存分な演目も多数あります。
とにかく、見て聞いて楽しめる落語家ですね。
ちなみに、俳優としても映画や舞台にも出ています。
見れば面白さがわかります。
それから、自分のことを「キョンキョン」とう愛称で呼ぶこともあるようです。
独演会は、チケットが完売なるほどの人気があります。
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